漫画、キングダムの時代は、中国の春秋戦国時代と呼ばれる時代で、7か国が戦争を繰り返し、日常的に戦争が行われ、人がどんどん殺されていた時代です。
そうのような時代において、秦王、政、後の秦の始皇帝は、すべての国を打ち倒し天下を1つの国にすることを目指します。この行為に対しては、様々な批判が漫画内でもなされますが、それでも、政は、天下を1つの国にして、元秦の国民なのか他の国の国民なのかも関係なく、王族、貴族も百姓も関係なく、法をもって国を治め、法の下にすべての人が平等となる。そのような国であれば、次の世代は人が人を殺さなくてもよい時代となると信じます。
これは、現代で言う、憲法の発想です。王や貴族が恣意的に政治や権力を使うのではなく、憲法のもとに権力者も平等に縛られるということです。権力者の上位に、守られるべき法を定めることで恣意的な権力の暴走を止めることができます。
現代でも、力のある権力者が、女性や子供を含め殺戮を繰り返している地域や国が存在します。そのような地域、国では、権力者を暴走させない、憲法が必要となり、法の力が必要なのです。
次に、キングダム、の中には、李斯、という法家が出てきます。最初は、政の反対派閥の主要人物として登場しますが、政が、呂不韋という政敵に勝利した時に、投獄され、黙々と法律の書物を牢屋で書き続けている場面が描かれます。そこに、昌文君という、政の最側近の人物が法について、教えを請いに行く場面があります。
そこで、李斯は、昌文君に「そもそも法とはなんだ?」と問います。その問いに対し、昌文君は、「刑罰をもって、人を律し治めるものだ。」と答えます。これに対し、「馬鹿な。刑罰とは手段であって法の正体ではない。」と李斯は言います。
李斯は、「法とは願い!国家がその国民に望む人間の在り方の理想を形にしたものだ。」といいます。これは、まさに、法の根源的なものを言い当てています。
例えば、人が人を殺さない世を作りたいという願いを形にしたものが、現代の、刑法199条です。人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する、としているのは、まず、人が人を殺す世の中にしたくない、という願いがあり、そうさせないために、人を殺せば、万人が平等に、死刑などの刑罰を受ける、だからやめておけ!ということです。
民法や商法なども同じです。世の中での富を最大化することで、人々を豊かにし、飢餓や、貧困の問題に対処するための法とも言えます。
つまり、きちんと司法機関が作用し、適正な法が平等に適用される国は、人が願った方向へ行くことになるはずなのです。法というのは、人間が発見した、このようにあってほしいという願いを社会において実現するための史上最大の道具とも言えます。
未だ、現代においても、法の適用がなされていないまさに無法地帯が多くあり、弱い立場の人たちが殺されたりしています。この日本国においても貧困などの理由で法の適正な適用がなされずに過酷な環境で生きている、子供や弱い立場の人が多くいます。そのような立場の人々を司法、法の力を浸透させることで社会をよくして行く。まさに、そのことが法の持つ価値なのだと思います。
みんながこうありたいと願う、社会に一歩でも近づくことができるように司法や法が浸透するよう頑張りたいものです。